英語できてすごいですねぇ
6時起床。。からの2度寝で8時起床。
この光景、日本ぽくて好き。
朝食がてら、シンガポールのお客さんと打ち合わせ。
さすがにカフェではあまりありませんが、
居酒屋とかだと、
「英語できるのすごいですねぇ」
とか言われるわけです。
大学入試も「英語ができる」と「Gentoo Linuxでサーバ立てるの大好き」とかを出すと、どんなにアホでもAO系はだいたい評価は高くなりがちです。
私は俗に言う帰国子女で、8年間、*英語*で*勉強していたら、ある程度理解できるようになりました。
ここでミソなのが英語*を*勉強するのか、英語*で*勉強するかなんですよね。
英語*で*勉強していると、なんとなくは分かるけれども、なぜそうなるのかが分からず、リスニングとライティングだけ満点あとは微妙になったりします。
結局、英語も日本語も中途半端なので、
シャチハタのことを「シャチホコ」と言ってたり、総武線のことを「ソウムセン」と言ってみたり、定期的に周囲にネタを提供することが出来るんですが笑
話を戻すと、
「英語できるからすごい」と思われてしまう文化は、
「日本」と「日本以外」との距離が遠いからと感じるのです。
我が国はとっても豊かなので、
ビジネス(特に小規模IT系)で何かあれば、国内で大体解決できます。というか、国内で解決しようとします。
仕事でシンガポールに行くと、国境は関係なくなります。
オーストラリアのとあるチームに手伝ってもらおう、とか、テストはマレーシアに出してみようとか。
ぜひ日本でも、「韓国チームに手伝ってもらって、台湾にテストをお願いして。。」とかやってみたいんですが、いかんせんコミュニケーションコストが高すぎて、
帰国した瞬間に、国内モードに戻ってしまいます。
文化的背景もあるので、「日本」と「日本以外」との距離が遠いのがダメだ。とか素晴らしい。とかではないのですが、
新入社員が海外研修に行って、「海外に出ると視野が広がる!!」とかよく分からんことを語ってるんじゃアカンと思うんです。
少しづつでも良いから、
「国内モード」を勝手に発令せず、あらゆる可能性を試してみたいな、ということです。
英語から可能性の話になるなんて、
なんて自由な記事なんだ。アッハッハ。
さて、昼は何を食べようか。